教育文化部会「坐禅体験と山溪禅寺住職の法話」開催
11月12日(土)午後1時からイチョウが綺麗な山溪禅寺で、坐禅体験と住職の法話を聴かせていただき、23名の参加がありました。
まず、御本尊様に、本日本堂で坐禅体験をさせていただくことを報告する為、ご住職様が読経をとなえられ、参加者は焼香させていただきました。
その後、住職から坐禅の仕方の説明がありました。
まず姿勢を整えましょう
➀座布団を二つに折ってお尻の下に充てます。
➁右の足を左の腱の上にのせます。
➂さらに左の足を右の腱にのせます。
➃足の組み方は、2通りあるので、➁➂が逆でもかまいません。
➄手は、掌を上に向けて、右手を足の上におきます。そして、その上に左手をのせます。
➅また、右手を左手で包むように握ります。
➆あごを引き、頭が前後左右に傾かないようにします。
➇身体を前後左右に動かし、中心となる位置を見極めます。
➈坐禅の時の目線は、目を閉じず、半眼という形が理想的です。(顔を正面に向け、少し顎を引き気味にし、まっすぐ前を見て、そのままの状態で1~2メートル先の畳の上に視線を落とします)
次に呼吸を整えましょう
そして心を整えましょう
住職が坐禅巡回中、背中を打たれる行為、警策(けいさく)をいただきたいときは、真正面に立たれたときに、合掌をすると合図となり、参加者のほとんどが警策(けいさく)をいただきました。
坐禅体験のあと、お寺からお抹茶をたてていただきました。
引き続き、山溪禅寺の悲話と題して、法話を聴かせていただきました。
山溪禅寺は、開基は元和元(1615)年、藤堂高虎によるとされています。寺号は藤堂高虎によって下賜されたものです。
藤堂高虎の従兄弟である藤堂新七郎良勝をはじめ多くの藤堂家家臣が元和元(1615)年大坂夏の陣の時、豊臣方の抵抗に遭い、大阪・八尾で殉死。一族の供養として山渓寺が創建されました。藤堂新七郎良勝の遺骸は八尾の常光寺に祀られていますが、山渓寺に五輪塔があります。また、初代良勝以降、幕末まで十代にわたる藤堂新七郎家一族の墓所であり、菩提寺でもあります。
また、本堂の配置は、三門の正面でなく、大坂の陣で亡くなった藤堂新七郎良勝一族の供養の為、西に向けて建立されているとのお話も聴かせていただきました。
初代から、21世までの住職の位牌は本堂に祀られているが、江戸幕府に遠慮して、処刑された十世の位牌だけなかった。それが、敬叟玄粛(けいそうげんしゅく)和尚大禅師にまつわる話で、東福寺で禅の奥儀をきわめ、天明3(1783)年伊賀に帰り山渓寺の第十世住職となりましたが、飢饉が続き農民は重税に苦しめられていた人々を救おうと幕府への上訴の作成を和尚が手伝ったため、藤堂藩からとがめられ、久米川の河原で処刑され、また修行元の東福寺では、和尚の僧籍まで削除されました。との悲しい悲話も聞かせていただきました。
明治になり徳行が認められ名誉が復活。処刑地に供養塔が建立され、山渓地蔵尊として祀られ現在も、4月20日と8月20日に法要が行われているとのことです。
歴史的なお話や貴重な体験をすることができました。