上野南部地区住民自治協議会について

上野南部地区の概況

当地区は旧上野市街地の南西部に位置し、伊賀上野城(白鳳城)城下町として歴史に抱かれた佇まいは、小京都の名にふさわしい景観を醸し出しています。商業地域と住居地域が混在するなかで、史跡としては松尾芭蕉ゆかりの“蓑虫庵”、藤堂高虎の城下町の碁盤状に整備された街並み、いりくんだ路地や町家など命の息づかいを感じながら観光面でも重要な機能を備えています。

しかし、1,5k㎡に約1,800戸、約3,400名が居住する伊賀市で最も人口密度の高い地域でもあり、幸いに戦災を免れた一方、昭和34年以前に建設された木造家屋が50㌫を超える過密住宅と、火災、震災等の災害に対応していない狭隘な道路が特徴となっています。

11町で構成された街は、上野西忍町444名、上野東忍町324名、上野万町242名、上野鉄砲町293名、上野愛宕町367名、上野西日南町148名、上野東日南町90名、上野茅町255名、上野池町149名、上野恵美須町154名、上野桑町907名で合計3,373名(令和5年3月末現在)です。

伊賀流忍者発祥の地 忍町、商人の街 万町、鉄砲職人の鉄砲町、火伏せの愛宕神社や商売繁盛の恵美須神社を抱える愛宕町や恵美須町、“出屋敷”と呼ばれていた桑町や自然豊かな茅畑や桑畑それに池などが広がり、変化に富んだ風光明媚な地域であったと思われます。

昭和40年竣工の「千日道路」で有名な、名阪国道から市街地への表玄関にあたり、さまざまな商業施設が林立しています。

伊賀鉄道が縦走する桑町駅から茅町駅周辺は、地区への東玄関とともに大型施設や総合病院、高校通学のアクセスロードとなっています。

少子高齢化の波は当地区にも端的にあらわれ、幼少人口9.8㌫、高齢人口39.5㌫(伊賀市高齢化率33.7%)となっており、少子高齢社会をうまく生かせる施策が求められています。

小中学校が地区内になく、小学校区は上野西小学校と上野東小学校に2分され、中学校区も崇広中学校と緑ヶ丘中学校に2分されています。

街づくりの一体化のため、災害時の避難場所確保のため、避難場所兼体育館の建設及び緊急時のアクセス道路確保のための南平野木興線の早期着工を、地区住民上げて要望しているところです。

上野南部地区住民自治協議会も始動し始めてから19年目を迎え、令和5年度から上野南部地区市民センターを管理することになりました。

上野南部自治協は、11町自治会が中心的な役割を担いながらこうした地区内の各種団体をネットワーク化し、多様な人材を確保し、共に明るく安全・安心で活力ある街づくりに努力しているところです。

2023年4月 上野南部地区住民自治協議会