金刀比羅宮

銀座通りから西に入ると、銭湯や昔からの家並みが残る上野西日南町があります。
三叉路の北側に石の鳥居があり、通りを見守るかの様に『金刀比羅宮』が鎮座しています。
  

古老の伝承によると、旧神殿は、集議所の北奥に南向きにあり、社殿は高い石段を登って参拝し、お百度参りの木札、お神酒の徳利・壺が沢山供えられ立派な造営で、天保年間(1830年~1844年)に平家の落武者に由縁の者が奉祀したと伝えられています。
当時の手水石は木興町の金刀比羅神社に納めたと伝えられており、この手水石には天保15年6月の刻銘があることから古く天保以来、祀り続けられたと推定されます。

明治41年2月9日、縣命によって縣社菅原神社境内の美加多神社に合祀され、その跡地に集議所が建てられ、その後昭和10年に改築されました。
合祀後、昭和8年頃町内で災いが相次いで起こったため町の役員や有志が相談して遙拝所を建てようということになり昭和11年9月に完成しました。

また、昭和10年4月に記された「集議所改築記録」によると
「当集議所敷地ハ元当字の鎮守社金刀比羅大神ノ境内ニシテ古来ハ町民ノ信仰厚カリシト傳ヘ聞ク明治四拾壹年度ニ縣命ニ依リテ上野町各字ノ鎮守社ハ惣テ縣社菅原神社境内ヘ美加多神社トシテ合祀サレ今日ニ及ブ(中略)尚近来金刀比羅大神ヘノ信仰日ニ増シ盛ニシテ神ノ冥護ヲ念願スル者数多アリ中ニモ古来ヨリ當字ニ因縁深カリシ大神ノ鎮守社ノナキヲ嘆キ遂ニ美加多神社ニ合祀サレシ金刀比羅大神ノ分霊ヲ當字旧境内地ニ奉安置ノ議纏リ旧集議所ノ奥ニ改築シ鎮守社ヲ表敷地ニ建立ス」とあります。
要約すると
金刀比羅宮が、古来からこの地にあり明治41年度に縣命によって菅原神社(上野天神宮)境内にある美加多神社に合祀されたが、町内の方々の金刀比羅宮大神への信仰が厚く、以前金刀比羅宮の境内があった場所に昭和10年に菅原神社(上野天神宮)より分霊してもらい奥に集議所を建て表の敷地に鎮守社を建立されました。

今も町内の人からの信仰が厚く、毎年3月9日と9月9日には大祭が行われ菅原神社(上野天神宮)の神主さんが祭祀を執り行います。

そのあと、「なおらい」がおこなわれ、総菜などを持ち寄り、うどんの炊き出しなどがあり皆でいただきます。

最近では、この「なおらい」が災害時の炊き出しの訓練も兼ねているそうです。

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