桑町神社
青山街道沿いにある、赤い鳥居の桑町神社。
桑町神社がある上野桑町は、上野南部地区の一番南に位置しています。町の歴史は古く慶長11年(1606年)には家屋が6軒建っており、また、元禄年間(1688年~1704年)にそれまで呼ばれていた「出屋敷」から桑町に改名された頃には29軒ほどの家屋があったと文献に記されています。街道筋には今も当時の面影が残る街並みが多く残っています。
毎月17日に上野天神宮より宮司さんが来られて月次祭(つきなみさい)が行われ、11月3日に例大祭が執り行われます。また、年に2回4月に春季祭、7月に夏季祭が行われ街道筋に幟(のぼり)が立ち、例大祭と夏季祭には2基の子供神輿が町内を巡行します。
≪町内を巡行する子供神輿≫
・・・・・・・・・・神社の起源・・・・・・・・・・
以前、別の場所(桑町集議所付近)にあった伏見稲荷を起源とする「春吉稲荷」の祠(ほこら)と、明治維新の廃仏毀釈運動の折に菅原神社に預けていた「津島大神」を昭和37年11月3日に還幸(返還)してもらい遷宮されました。上野桑町地区の市場氏・坂森氏・藤田氏のご厚意により寄付された現在の土地に、宮司と同郷であった紺屋町の大工・福森氏が他の神社で解体した社殿を寄付・造営し、本殿が完成。また、造営と時を同じくして、当時の野村総代のもと、子供神輿が造られました。
桑町神社では、お祀りしている稲荷神(倉稻魂命)や津島神(須佐之男命)の信仰が盛んで、以前は「稲荷講」として京都の伏見稲荷に、「津島講」として愛知県の津島神社にそれぞれお参りしていました。
また、神社の社務所で菊山九園氏、享女氏が中心となり句会が催され、それが今も「桑の実会」として続いています。
昭和50年5月に当時の桑町神社宮司(中川金之助氏)が記された「当社要旨」によると
昭和18年に施設等の寄付を受けた町民3名から要請により、総会の結果、宗教法人の設立申請を行い、同年にそれが許可され、各組への回覧・賛否によって「桑町神社」と称するようになった。その後、昭和33年より神社の造営を開始。昭和37年には菅原神社より御遷宮祭を斎行。資金難等で工事が中断しかけたが寄付が集まり、昭和38年に完成し、完成記念大祭を斎行。
となっています。